ユーモアのある小説なので、そのように扱えばいいのだろうが、人がひとり亡くなっている。すっかりセンシティブになり、触れようとしない作者の傷ましさを思うとなかなか…。絶版になったままだ。惜しい。経緯を考えると仕方ないとも思う。作者自身右翼に付け狙われていた。悔やんでいた。

命を狙われ、逃避行するのである。作品に力があった。本来表現にタブーはないはず。才能の為せる業だ。そんな一言は何の慰めにもならない。無垢な魂の持ち主は、他人の人生に影響を与えた(殺してしまった)ことを強烈に悔やむのである。読み手の責任と投げ出してしまわない姿がそこにある。

リベラルの所謂狭い範囲からは逸脱するが、深沢ほどリベラルを体現した人もいないと思っている。底知れない大きさ、枠のなさを感じる。体現者をリベラリストと呼ぶかどうかは知らないけれどね。