しかし物語からは、嬉しそうに微笑みながら両手を広げて王子さまを迎える花の姿がイメージされる。待ち焦がれた王子さまを、心から受け入れる姿が。

これは男性版お伽噺である。



さて、女性版お伽噺と言えるかどうか。

仮説としては言えるのだが、それには様々な現実的な権利を手放さなければならない。
女性であるということは、様々な現実的な権利を手放して、虐げられることと同義だと私は思う。

女らしさって、そういう残酷な面を持った価値観だと思う。

お姫様抱っこされて微笑む姿は幸せそのものだが、しかし落とされる危険と隣り合わせだ。

すべての女性が一様に望んで得られる幸せではない。


それでも女性たちは「花は僕がいないとダメなんだ」と口にして、自分を選んでほしいと思っている。

普遍的。

ここにお伽噺がある。


男女ともにお伽噺が成立し、男女ともにそれぞれ残酷だ。




私って男女のことばかり考えてる? 少なくともマイノリティな同性愛については全然考えてない。女の子に体を寄せられても、可愛いとか気持ちいいとか思わない。一番レズビアン的感性を持ち合わせていたのは、中学時代だと思う。しかし全くと言っていいほどない。想像しようという気もない。

想像の翼の下では何処までも行けるようでいて、やはり性向が働き、限られた自分の許容できる範囲でしか動けないのね。

それ以上となると、足が着かない深い海のようで怖い。