文学と経済学はその精神性に於いて対極にある。村上龍はエンターテイナーの要素が強く、読み手を愉しませるが、やはり純文学だと思う。それなのに、あんなに経済学に嵌り込んで、あれは両者の架け橋かしら? キューバ音楽やテニスやF1と同列に経済学が並ぶのだ。その在り方が作家そのものだと思う。

言葉が病や人の性格や、時代の流れを作る。言葉が創る。現象は以前からある。誰かがそれに目を留めて、クローズアップする時に言葉が生まれる。

「人間が、あるものの芽を自分の内にもっていないのであれば、どうしてそのものが感知できようか、私が理解すべきことは、私の内部で有機的に生長していかなければならない。だから、私が外から学ぶように見えるものも、有機体の栄養剤、刺激剤にすぎないのである。」 (ノヴァーリス『花粉』より)