娘の縁談というのは、親にとってはいろいろ気がかりなものだろう。
と大人みたいなことを言ってみる。

今朝の「ごちそうさん」にもあったが、好きなひとが出来る前に
嫁がせるというのはそれはそれでひとつの方法だとは思うのである。

15はギリギリだ。それ以前なら淡い恋かせいぜい幼馴染くらいしか
いない。それならば、何も知らない娘はそれ故に何処にでも飛び込む。

でも好きなひとができれば途端につらくなるだろう。
それを押して嫁げというのはあまりにも惨い。

だからそれ以前というのは、ひとつの方法なのである。
八百屋お七のように思いつめてはどうにもならない。

思春期の少女の希望と絶望が、最も膨大なエントロピーを産むと、
きゅうべえも言っているではないか(笑)

娘を一生独身で…というのもなかなか厳しい選択ではある。
世の中は女性ひとりが快適に人生を送れるようには出来ていない。

ましてやここでまた、結婚しない者=出来ない者と言わんばかりに
婚活市場が隆盛を極めている。

一時的なものだとは思うけれども。

初恋エントロピーが最も大きい。これに絶望して(=失恋して)から
ならば、おとなしく縁談にも乗るだろうが、相思相愛ならばどうする。

これは娘はあきらめないわ。当然よ。当たり前だ。
何も問題にはならない。他の男と結婚するくらいなら
死んだ方がましだと宣言し、親が根負けするのは10代の恋くらいだろう。

少女時代が長く続けば(それは意志の問題だ)歳は関係ない。
30になっても70になっても、少女は存在する。

30であれば目の前の男性に少女のように恋をする場合があるが、
70ならば少女になるのは初恋の男性の前であろう。

あまりバカにしたものでもないのだ。少女は恋に生きている。

皆川博子の『恋紅』で主人公のおゆうは、好きな相手のところに
自分から飛び込んで「抱いてほしい」「お金は持ってきた」と
言い、初めての相手を自ら選び、お歯黒を施して彼を驚かせ、
「でもあなたも私を好きでしょう?!」と情熱的に相手の瞳を
覗き込み、彼の心の奥に秘めた感情を解いてしまうのである。

この時まだ10代だ。

この意志の強さと激情に相応しく、結婚した後もきりきり舞いの苦労をする。
夫婦仲はいいのだけれど、それだけでは済まない。

親としてはまったく、どちらがいいのか皆目分からない(笑)と
いう事例である。赦すも赦さないも、娘はひとりの男性しか見ていない。
あげく家を飛び出したのだから手の施しようがないのだ。

次にこのパワーを発揮するのは母になった時かもしれないけれど、
私は母親にはなっていないので分からない。

きゅうべえは思春期の少女の希望と絶望が一番大きなエネルギーを
産むと言ったし、私もその設定で正しいような気がする。

少女は自分の感情の大きさ、爆発力、瞬発力に自信を持てばいい。
誰もあなたの邪魔はできない。そのくらい大きなエネルギーだ。