13歳で出会った相手に、根気よく接して「心を寄せてみても心を遣ってみても、返して来ない」彼女を内省的な人間に変えてしまったことがある。


本当に無礼で無様で、鼻持ちならない相手だったが、素直で卑しさがなかった。3年かけて何を言われても黙って赦し、心を解きほぐすように身近に密接に接していたら、だんだん変わってきた。彼女の親は喜んだ。それはそうだろう。どう考えても我儘で甘ったれな一人っ子に思いがけず訪れた、奇跡的な、良い効果である。内省的になった彼女は、足ることを知り、穏やかで世俗的にも成功した人生を歩んでいる。あのままなら、つまり私が関わらなければ、たぶんもっと苦労しただろう。

私が最後に彼女を確認したのは20代初めのことだ。驚くほどの成長を遂げていた。

これを確認して以降、全く接していない。思い出すこともない。好きか嫌いかと言われれば、どちらでもない(=興味がない)のだが、どちらかといえば嫌いだ。

とても不思議なことだと思う。

私は強烈に惹かれたのだ。もし異性であったならあれがまぎれもなく初恋だし、同性であってもあれは半分は恋だったように思う。

恋愛における性別というのは存外根拠が浅く、ひとはその性質の或る部分に、その性質の或る組み合わせに、宿命的に、強烈に惹かれる場合があるのだろうと思う。

彼女は私の望み通りに変わってしまった。
それを私は何処か畏怖の感情で見た。

私にはひとを変える根気良さがあるのだということを知った。

職業は人事コンサルタントだったのだが、これはたぶん天職のひとつである。苦にならないし成果は上がる。この周辺の仕事、例えば教育とか取材して文章を書くとか、向いている。どれも力を加減して使っている。

加減しないと相手を変えてしまうのだ。

変えてしまうということは、それが良い方向であっても悪い方向であっても、等しく怖ろしいものだ。善悪は絶対的価値ではない。

私が彼女に興味を失くしたのは、客観的には役割を終えたからだろう。主観的には、彼女らしさが無くなったからだ。欠点は効果的なスパイスだ。私は彼女をどうしようもなく好きだったが、かなり嫌ってもいた。嫌いだけれど離れられない…って感じだった。相手は浅はかなので、もちろん気づかない。自然の儘である。それがゆっくり目を開き始めたところまではよかった。

あの欠点は何に形を変えたのだろう?