嵐が丘』はハーレクインロマンスである。『本格小説』になると、それがさらにはっきりする。

ここ以外に需要はない。掘り起こしても面白いが、血を見るだろう。作者は罵られ、涙混じりに殴打され、墓場の片隅に葬り去られるだろう。しかしテキストとして、予定調和ではなく悲恋や騙される愚かな女を描き出し、客観的に観ることができれば(つまり市場を開拓すれば)、これは貢献度が高い。

否、ここで『悪女について』を思い出した。あれは出世街道を駆け上がるサクセスストーリー型ハーレクインロマンスとして仕上げることは十分可能だった。しかし途中でぷっつりと途切れた。本当の転落を避けるための仕掛けでもあるが、息子の愛がある以上、老醜晒して天寿を全うすることも出来たのでは?

これを思うと松田聖子は素晴らしい。彼女が支持されるのはここである。ハーレクインロマンス。生き方はグロテスクだと思うけれど、腐臭や狡さを中に隠し持たない愛らしさは人工的に感じられ、同性の支持を得られない。暴露趣味と同性支持は親和的関係にある。

天性の勘の良さと精神の強さ


紋切り型ね。


「長男の愛でなければ、意味がないのである。」これを加えると少しはましになるわよね。ここからの展開ということで…取り敢えずここまで。