「改革運動は不遇の知的エリートが起こす」
つまり、激動の世に於いて、時代の最先端を走るには「不遇」であることが条件となる。恵まれている者は、何処か守りに回る。その分劣勢になる。

自分を「不遇である」と位置付ける。不満を持つという意味ではない。好奇心を旺盛に、満足した豚であるより不満足なソクラテスでありたい」とする意識の方向であり咆哮である。

不満足のタネはたくさん転がっているから。

不遇な人と手を繋ぎ、共に立ち上がり歩こうとすることは、自らが不遇な立場に身を置くことと共通する。意識の面で。明るく、体力を持ち、ストレスに苛まれず、共に歩こうとする人の存在は、本当に不遇な目に遭っている人に希望を与える。

同時に自分自身、いつ不遇になるか分からない、立場は簡単に逆転する、だからこそ恵まれている者は保守に回るという激動の時代である。


分かり切ったつまらない文章だが、自分の為に書いているのでご容赦願いたい。