幸福とか不幸というものは、或る種どうでもいいものなのよ。それは主観に過ぎない。

幸福かどうかで気分が揺れたり幸福を目指したりするのはすべて無駄。幸福を目指しても蜃気楼を掴むようなもので、その手に握りしめることなどできない。

幸福な瞬間☆というものはある。幸福は瞬間的に存在するものだ。継続はしないものだ。

幸福な状況を永続的に固定することなど不可能だが、それに近い状態を創り上げようとすると、それは「退屈」になる。

曽野綾子に『幸福という名の不幸』という小説がある。女性の日常を淡々と描いたものだ。もう30年近く前に読んだきりなので、今読むといろいろ新たな発見がありそうだが。