わりと「個人として」好き勝手に生きてきたつもりでも、何で?w それに全然解決してない難問がいっぱいあるわ。これまた巡り巡って私のところに戻って来るんだ。戻ってきた時には歓待してあげたい。お客様だから☆

何か全部違うような気がしてきた…。でも「何か違うような気がする」ために考えるのだと思うわ。そのために。不毛ってすごく大事だし慣れておくといい感じ。こういうのポジティヴって言うかもしれない。曖昧っていい感じ。

でも文章にする時にはクリアに書きたい。或いは何重もの薄い膜を被せて、ちょっと読んだくらいじゃ分からないくらい重層的なものにしたい(文学的文章) この層にはこれを、こちらの人達にはこれを、狙ってダイレクトに投げたい…と今言っている時にイメージしているのは庄司さんだったり村上春樹だったり。そういう意味では文学的文章にはイメージする師匠がいるけれど、それ以外にはないのだわ。いないのが悪いのではなく、事実として。

自分が最高というのか、何年か後の自分が先生だと思っていた。

これ書きながら全部、端から物語みたいな気になるのよね。全部嘘☆ 全部創作 太宰的な感じで。 そしてここにあるのは膨らませる前の、庄司さんが「達夫に鮮やかな赤いインキがついてetc…」って同人誌に書いた文章や、長編にする前の、春樹さんの「蛍」みたいな位置づけ。



先は見えるとつまらない。