太宰の文章を読んでいると、上手すぎて上手すぎて、私はただの1行も書く必要ないな、と思ってしまうのだが、そうやって他人の遊戯を奪ってしまうあの作家は如何なものであろうか。庄司薫は上品なので、そんなことはしない。

バルザックは放蕩について書いていた。「放蕩はひとつの芸術であり、逞しい精神を必要とする」とか何とか。そんなことを考えながらあれこれ動いていて、当然のことながらパッと「父は義のために遊んでいる。命がけで遊んでいる」などという手前勝手な言葉が連想され、ちょっと見てみたくなって、しかし自分の本棚は本が多すぎてもう何が何だか収拾がつかずに、青空文庫を覗く。

ああ、これは、このルックスは富栄さんだな。しかしスタコラさっちゃんはロクな描かれ方をしていない。気の毒である。共に入水しても彼女の父は「お偉い先生ととんだことをしでかしまして…」と頭を下げる。「お偉い先生」は間違いなく「お悪い先生」であるのに。山岸さんだったと思うが、友を失った口惜しさの余りに「女が太宰をその気にさせた」と言う。そんなバカな。そんなバカな! シメ子さんのこと忘れたの?「太宰はね、死ぬ時の女はね、誰だっていいのよ」

初代さんのことはあれほど綺麗に書き、どうして富栄さんのことは冷たく離すか。「神に問う。信頼は罪なりや。 果たして、無垢の信頼心は、罪の源泉なりや。」

斜陽の人も美しく描く。強さの中の脆さを描く。彼は女の中に自分を見ている。