カーネマンのリンダ問題。

私は正解した少数派なのだが、正解の導き方はよくも悪くも私らしい。

これは確率論の問題である。そのシンプルな事実に、私は解説を見るまで気づかない。


カーネマンのリンダ問題とは以下のようなものだ。リンダという現在31歳の独身女性についての情報が与えられ、直感で2択問題に挑む。

リンダは31歳の独身女性、外交的でたいへん聡明である。専攻は哲学だった。学生時代には、差別や社会正義の問題に強い関心を持っていた。また、反核運動に参加したこともある。彼女はいまどちらである可能性が高いと思われるか?

1. リンダは銀行の出納係である。
2. リンダは銀行の出納係で、フェミニスト活動にも熱心である。

以下はネタバレとなります。




私はこう考えた。リンダは現在31歳であるということは、この仕事に就いてから長い。或いは転職した。
2つの場合に分けて考える。

1.銀行の出納係としてまとまった期間を過ごしている場合

外交的で聡明、学生時代から社会問題に関心の高い彼女が、今もそれを維持しているなら、この仕事に甘んじていられるだろうか? 
彼女はこの職を辞して、もっと自分に相応しい仕事を探すのではないか。

2.転職した場合 

転職して銀行の出納係?何か事情があるのだろうか。職は食べていくための手段と割り切っているのだろうか。自分の外交的で聡明な部分、社会問題に関心の高い部分は、仕事ではなくフェミニズム活動で発揮しているのだろうか? その場合、仕事ではなくフェミニズム活動にこそ、彼女のアイデンティティは託されているのだ。フェミニズム活動を片手間に行っているとは考えにくい。フェミニズムに傾倒しながら銀行の出納係が続けられるものだろうか。

つまり人間観察である。矛盾を感じているのだ。確率の問題であることになど最初から関心を示さず、気づいてもいないのである。

この矛盾はどう説明すべきか。ここに私の関心は注がれる。

そして与えられた情報の、何が不確定要素を含むかに着目する。主観的判断は以下の2点。
「外交的」「聡明」

若干客観的要素が強い(具体的な言動や行動から導かれる判断)のは「差別や社会問題に強い関心を持っている」

客観的事実
「31歳」「独身女性」「専攻は哲学」

具体的行動
反核運動に参加したことがある」

そして私はこの結論を導き出す。主観的判断はあくまで主観的判断でしかない。主観的判断である以上、これが事実に反する場合もある。或いは彼女の思考や人格のすべてを捉えているとは言い難い場合も。

与えられた情報に懸念を投げかけるのである。
その場合、懸念を投げかけた情報から導き出される部分=「フェミニズム活動にも熱心である」は不確定要素を含むと判断せざるを得ない。

残ったのは「リンダは銀行の出納係である」



私はやはり文学に拠る部分が大きいのだ。
これが「私が世界を観る時の癖」である。


そして、間違った答を回答してしまう人が多いとするならば、それは学校教育(殊に義務教育・初等教育)の段階で、「与えられた情報はすべて使って回答せよ」と教えられるためであろう。論理的であることは、そこでは求められない。