石原慎太郎氏が大阪市長の肩を持ち、「差別だなんて言えた立場か、黒シール」なんて言われていたけれど、『あんぽん』を読んでみると何のことはない、この本の中で佐野氏に激烈に批判されていた。私怨である。あんぽん読了。

「私怨である」はより正確に言うと「私怨の部分もあると思われる」

書かれる方はキツイであろう。プライバシーを(それも自分が知らないところまで)徹底取材して暴かれるわけですから。書かれる方も覚悟が必要だ。自分にとって「書かれる意味・ここまで書かれる意味」を自分自身に問うことが必要になる。起きる物事、他人の自分を見る目の変化その他諸々の出来事に対処せねばならない。書かれる側にそこまでの覚悟を問う「書き方」とはどういうものか。公人であることは、どこまでを要求されるものか、書き方の配慮は何処まであるべきか、という個々の具体的な問題。

表現の自由はこことせめぎ合うものだ。

自分の知らないところまでルーツを暴かれ、プロの目でそれを料理してもらうことには楽しみもあるだろう。自分の知らなかった、気づかなかった発見もきっとあるだろう。能動的に、自分を俯瞰的に見て楽しむことにはきっと得るものもある。批判も的外れも、全て含めてひとつの意見として受け入れる度量だ。

何にせよ、起きた出来事を上手く使っていく(処理していく)ことが求められる。