カボチャが出来たので収穫する。そしてまたカボチャを植える。
食事も全てバーチャルになればいい。
人間関係は、選択次第で既にバーチャル化してしまうことが可能なんだなあ。
仕事も。

思考はバーチャルか。睡眠はバーチャルか。夢はバーチャルか。
肉体的実感を伴わないものの現実感覚は何処に。



自分で仔牛、子豚の時から育てることなく、屠殺を経験することなく、
トレイに並べられた肉片を買い、食べるのは仮想現実ではないのか。



現実をすべて仮想現実にしてしまえばいいのだよ。
どうせ境界線なんて曖昧じゃないか。
「生の実感」なんて、大抵はつらいことばかりなのだよ。
だから皆、こうして自分を誤魔化して生きるじゃないか。
価値のない人生を。
それどころか環境の価値を毀損するために時を空費する人生を。
ね?


都合のよいことにだけ「生の実感を味わいたい」だなんて、
後でどんな罰が待っているだろうね。
都合がいいね?