思考の中ですら社会民主主義的力点を取ったことのない者の話は、
相応に差し引いて考えた。
場合によっては相応に軽んじる。
無邪気に自由民主主義的立場を主張して憚らない者は、確信的に利己主義に正義を
引き寄せて語るのか、或いは想像力が及ばないかだと。

そのことの是非を自身に問う。


どうして想像力が及ばないのか?と判断を保留にして観察する。
保留と観察の知恵は比較的、昔から自分に備わっている。
仮説のじゅうぶんな検証は、「在るがまま」を観察することと引き替えに、
蔑ろにしてきたかもしれない。


いずれかを選択するしかない相反する性質のものであって、
私は「在るがまま」を観察することで、そこにニュートラルな目線を使うことで、
気づきを得、判断の修正を図ってきた。
しかし仮説の絶えざる検証に力点を置くやり方もあって、
こちらの方法に関する経験値が少ないのではないかとふと感じた次第。