神様は見ている

神は他人だと思う。
神は自分だと思う。

この世は、「神を実体化する試み」の為の場所ではないかと思ったりする。

実体化とは固定化である。

神という状態を、維持する。

維持することの困難さ。

流れて休み、流れて移動し、また形をとる。

神のかたちを取る。

その形を取った数だけ、花が咲くのだ。



斎藤隆介の『花さき山』という絵本がありまして。
神様は見ている、神様はちゃんと見ていて、優しいことをしたらひとつ花が咲くというのですね。
細かい内容は忘れましたが、妹がいて、妹のために自分は我慢して何かを譲ってやった。お前のその優しさはほら、ここに小さな花があるだろう? お前の優しさがこの花になったんだよ みたいなね。そんな内容。

優しさは報われず、そればかりか悲しみをもたらしたりもするわけですが、そういう時に「ああ、今、花がひとつ咲いたかな?」ってね、淋しさや悲しさを感じながら思ったりするのです。花が咲いているところを想像する。

感性はそうやって育まれる。淋しさも悲しみも、たっぷり味わえば魂の栄養になる。悲しくて悲しくて、自分が歪んでしまいそうなくらい悲しくて、そうやって負荷をかけて、心を大きくしていくのだと思っています。