「自分と向かい合うことはとても危険なことで、麻薬や宗教や芸術やセックスは自分と向かい合うことを避けるために、存在している。自分とは何かなどと問うてはいけない。自分の中に混乱そのものがあるからではなく、まったく何もないからだ。」(村上 龍)

これには昔気がついて、「困ったなー」って思ってたわ。身体が弱くて入院すると寝たきりなのね。寝返りも打てない。本を読めない。トイレも行けない。動いては命に関わる。考える以外にすることがない。子どもでも、こういう状況に置かれると思考がどんどん進む。ガワが子供でも、中身は大人。

リアルコナン状態。この時に気がついていた。私の中には何もない。からっぽだ。思考はすべて他人からの借用だ。したがって希望もこの思考から導かれている以上、他人からの影響下だ。私自身に根ざすものは快&不快くらいだ。植物状態だ。

寝ているだけは実際に植物状態なので(食事は普通に経口だ)、健康になればこれは解決すると思った。そこが救いと言えばそう。大人に為って、リアルに何処にも理由を持っていけない状態でこれに気づけば、ひりひりするような痛みと、愕然と絶望を感じるだろうか?そうかもね。

「動く」ということの意味が、その効用が役割が、漠然とでも私には掴めているだろう。ゆっくり進めば早く着く。ええ、ここちょっと飛躍したわ(笑) 説明は面倒だから省くわね。