体制側に無事に絡めとられてからでなければ、世の中を本当に変えることなんて出来ないんだよ。だからゲリラ戦なのだ。市民の顔が必要なのだ。

目先のカッコよさや注目は、それだけで危険だ。人畜無害な、善男善女の顔をして、体制側に溶け込んで、そこからが始まりだ。

異端ではダメだ。革新ではダメだ。そんな声が降り注ぐ。

「死んだそうだよ。確かめたわけじゃないけれどね」(『ぼくの大好きな青髭』)

無事に大人に為りきることが必要だ。無事に。
「無事これ名馬」なんだよ。

青髭のその後がずっと続いているのだ。

この世界は子どもが席巻している。子供の頃ちゃんと遊べなかった子どもは、過去を取り戻そうとしていつまでも子どもだ。責任を持たずに生きていける便利な世の中で、管理されて他者の顔色を伺って生きてきた子どもが権力を握ると、自分の頭を押さえつけて来た過去のステロタイプに、復讐しようとする。

どちらも、当然の行為だ。そして他の子と同じくらい、同じように自分も、幸せになる権利があると思っている。その基準を物質で測り、心がいつまでも餓鬼のように満たされずに周りを傷つけてまわる。

子どもだ。

「お手々繋いで徒競走を駆けてゴールインした子どもたちが大人になる頃、この国はどうなっているか。僕は心ひそかにわくわくしている」(『僕が猫語を話せるわけ』おそらく原文非ママ)