カラオケというのは下品なものである。何故あのように醜悪なものになってしまうのか…というのは、様々な理由が即座に浮かぶあたり興味深い。

身分社会ではないので、様々な人と触れ合う機会も多く、そういう時は愉しんでいるふりをする。ふりも板についてきて、そのうちだんだん愉しめるようにはなってくる。しかし本当に愉しくなってしまってはおしまいだとも思う。

卑しい者を卑しいと感じるのは、カラオケボックスが出来る前、マイクだけで歌う時は(まだこの頃は品性という意味ではましだった)恥ずかしいのか歌わない。私は率先して歌うようにしていた。場の雰囲気を考えてのことである。歌は下手ではない。祖母は上野の音楽学校(東京芸術大学の前身)で声楽を勉強し、戦前若い頃にはラジオで歌ったりしていた。私は彼女の血を若干受けて、歌は人に聴かせるくらいは出来る。

恥ずかしがるくせに、ボックスで、仲間内でとなると、途端に元気を取り戻し、基礎も何も出来ていない醜悪な声でがなり立てる。それだけならば微笑んで聴いてもいられようが、その価値観を不躾に押しつける。

こういう文章を書くときの自分自身は、おそらく辛辣に映るだろうなと思う。

皆、似たようなことをそれぞれ経験していると思うけれども…。