神様は今もギリシャに住んでいるのだろうか…。
これ「キプロスの預金課税についてのニュースを見ながら、神様とチェスをしたい。神様、私にチェスを教えてくれるかしら? イタリアの真っ赤なトマトを持って、港でタコとイカを買って、ウゾーを持って、神様のところに行こう。お土産に、将棋の駒を持って行こう。」は間違ってはいないのだろうか・・・ふと自信を失うわたくし(笑)

これはアインシュタインの「神はサイコロを振らない」が発端であって、サイコロは振らないがチェスはするよ ということで…。

「神のチェス」は数学&物理。

キプロスの預金課税についてのニュースを見ながら…というのはギリシャ国債が原因だから。

将棋の駒には「将棋は日本のチェスですにゃよ」以上の意味はない。

言葉遊びとイメージが好き。神様とチェスするなんて夢のよう。愉しそう。チェスと将棋の違いは「駒が復活するかどうか」だ。

「駒が復活するかどうか」=「捕虜を自軍の勢力として使うかどうか」であって、後者の方が正確なんだけれど、字面としては前者が好き。こういう時に後者を選択するのは嫌で、感覚的に言葉の響きで前者を選ぶ。