「このおっさん、一緒に寝た女から情報とって仕事に繋げようとするとこが嫌い。一応「意図せず」って体になってるけどさ!私は大学時代、研究室に置いてあるのを読んで一人憤ってたぜ(>_<) 」同感。

http://b.hatena.ne.jp/entry/kabumatome.doorblog.jp/archives/65723297.html

弘兼憲史柴門ふみも、どちらの作品もあまり好きじゃない。赤名リカなんて何処がいいのか分からない。さとみちゃんの方がずっと好きである。同じツボで裕木奈江の何処が反感を買ったのか分からない。可愛いのに。ちなみに「ポケベル…」は見ていない。裕木奈江が反感を買い、斉藤由貴が無事だった理由も分からない。私にはふたりは大体同じようなタイプに見える。

ああいう同性からの嫌われ方というのは、当人にとってはとてもつらく重いものだ。存在を否定されるような気がするだろう。そして「特に理由はない」のである。感情的に嫌なだけ。

天災みたいなものだ。理不尽だ。

赤名リカは、一見元気で自由奔放で、裏がなく思った通り口にする。従来のくだらない既成概念とは無関係で…etc…。そういった記号を彼女が身に纏っているのは分かる。もうコミックを手放したし、確認することが出来ないのだが、リカは電話線を引きちぎっていなかったか? 別の作品と勘違いしていたら…否、リカで間違いないと思う。この引きちぎった電話線の1カット。彼女の気性の激しさを示すものだが、無論それだけではない。

この辺りは柴門ふみは非常に上手い。

上手いが救われない。「上手いが救われない」こういう漫画が彼女には多い気がする。柴門は決して、リカを手放しで称賛しているわけではないのである。時代と、女性たちの変遷と、称賛されるモデルが抱える不安定さをリアルにそこに置く。

リカは独り取り残され、彼女らしく颯爽と前を向く。その重さ。リアルだ。上手い。やり切れない。

柴門のエッセイで印象的な記述がある。これももう手放して手元にはない。彼女の長女は美少女で、母はそれを好ましく思っている。母には容貌コンプレックスがある。長女はそれを解消してくれるのだ。或る日長女は怪我をした。顔にもし傷が残ったら…母はここで思うのだ。「もうひとり産めばいい」そして柴門は自分のこの思考に愕然とする。このリアルさ、いやらしさこそが彼女の真骨頂で、作品を支える根幹なのだと思う。

このリアルさをまっすぐ見つめる目線は才能だ。臆することなく、曲げることなく表現することができるのも。